大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)4978号 判決 1985年9月26日

亡木内貢訴訟承継人

原告

木内謙二

原告

中村権六

右両名訴訟代理人

三木一徳

伊藤健一

柴山正實

中村康彦

日下部昇

被告

泉興業株式会社

右代表者

熊野正明

右訴訟代理人

山田俊介

清木尚芳

榊原正峰

射手矢好雄

松本岳

被告泉興業株式会社補助参加人

畠中太巳

右訴訟代理人

黒田登喜彦

平松光二

被告

綛谷憲治

被告

松本昭彦

被告

薮中茂

被告

土佐初江

右四名訴訟代理人

戸谷茂樹

主文

一  被告泉興業株式会社、同綛谷憲治、同薮中茂は、各自、原告木内謙二に対し金二一五万六二〇〇円、原告中村権六に対し金三二二万八七五〇円、及び右各金員に対する昭和五七年一一月一日から右支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの右被告三名に対するその余の請求、被告松本昭彦、同土佐初江に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告泉興業株式会社、同綛谷憲治、同薮中茂との間に生じた分は右被告ら三名の連帯負担とし、原告らと被告松本昭彦、同土佐初江との間に生じた分は原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、別紙物件目録記載の店舗において、果物を展示・販売してはならない。

2  被告らは、各自、原告木内謙二に対し金二一五万六二〇〇円、原告中村権六に対し金三二二万八七五〇円、及び右各金員に対する昭和五七年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら五名及び補助参加人)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告中村権六(以下「中村」という)は、「中村くだもの店」の屋号で、大阪市此花区西九条三丁目一一番一八号所在の「公認西九条市場」(以下「本件市場」という)内において、被告泉興業株式会社(以下「泉興業」という)から店舗を賃借し、そこで果物店を経営している。

(二)  亡木内貢(以下「亡貢」という)は、「木内果物店」の屋号で、原告中村と同様に本件市場内において被告泉興業から店舗を賃借し、果物店を経営していたが、本訴提起後の昭和五六年二月八日に死亡し、その養子である原告木内謙二(以下「木内」という)が相続により亡貢の権利義務一切を承継し、以後、同人が木内果物店を経営している。

2  本件市場は、被告泉興業が昭和四三年に開設した公認市場であり、昭和五五年七月当時においては、三四名が被告泉興業から店舗を賃借し、果物店、八百屋、肉屋、魚屋等の小売業を営んでいたところ、本件市場内に店舗を賃借している商人は、すべて「公認西九条市場商人会」(以下「商人会」ともいう)の会員であり、被告泉興業との店舗の賃貸借契約にあたつても右商人会の会員となることが義務付けられている。

3(一)  被告泉興業は、訴外大阪高架株式会社から本件市場内店舗を借り受け、これを本件市場内商人に賃貸している者で、前記商人会の「顧問業相談役」でもある。

(二)  被告泉興業を除くその余の被告らは、いずれも被告泉興業から本件市場内の各店舗を賃借し、右各賃借店舗において、被告綛谷憲治(以下「綛谷」という)は「かせや」の屋号で塩干、乾物を、被告松本昭彦(以下「松本」という)は「マツエー」の屋号で同じく塩干・乾物を、被告薮中茂(以下「薮中」という)は「」の屋号で青物を、被告土佐初江(以下「土佐」という)は「味美屋」の屋号で天ぷらを、それぞれ販売しており、右被告ら四名は昭和五四年九月一八日まで前記商人会の役員であつた。

4  ところで、本件市場においても、他の小売市場と同様に、「小売商の事業活動の機会を適正に確保し、及び小売業者の正常な秩序を阻害する要因を除去し、もつて国民経済の健全な発展に寄与する」(小売商業調整特別措置法第一条)ため、昭和四三年の開設当初から、不当な競業を避け、出店商人の経営の安定をはかるとともに、できるだけ多くの業種の専門的な小売業者の出店により顧客である近隣住民の利便をはかり、もつて市場全体の顧客吸引力を増大させるべく、厳格な業種別店舗数制限及び専売品目の規制が実施されてきた。すなわち、

(一) 原告らと被告泉興業は、本件市場内店舗の賃貸借契約の締結に際し、亡貢及び原告中村の業種を「果実」と合意し、販売品目並びに業種業態は絶対に他店の権利を侵すことなく守られなければならないと定めた。

とりわけ被告泉興業は、亡貢及び原告中村に対し、その出店勧誘において、「果物店は本件市場内では二店舗しか認めず、亡貢及び原告中村以外には絶対に果物を販売させない。」旨確約したのであつて、それ故にこそ、亡貢及び原告中村は本件市場に出店したのであつた。

(二)(1) さらに、本件市場には、「市場の秩序を維持し、会員相互の親睦を図り、一致協力して市場の繁栄を図る。」ことを目的として、前記の「公認西九条市場商人会」が結成されており、その出店商人間の根本規範というべき公認西九条市場商人会会則(昭和四五年七月二七日採択。以下「会則」ともいう)第六条には「会員は別紙販売品目を厳守し、決して他店の権利を侵さない事」と定められ、同第五条三項では、「経営者と商人との間に定められたる別紙販売品目の限定に関する取締」が右商人会の業務とされている。

(2) そして、右にいう販売品目を定めた別紙である品目規制一覧表(以下「一覧表」ともいう)は、被告泉興業の提案に基づき、商人会総会において満場一致により決定(昭和四五年七月二七日)されたものであり、そのため被告泉興業及び商人会の連名で作成された。なお、右一覧表によれば、亡貢及び原告らの業種である「果実」の専売品目は、「果実、支那栗、ゆで栗、切干芋、まくわ、いちご、正月用串柿」と定められているのに対し、被告泉興業を除く被告ら四名の前記の各業種には、右のような専売品目が含まれていないことはいうまでもない。

(3) そもそも、右販売品目の規制は、直接的には、各業種間の専売品目を定め、もつて各業種間の不当な就業を避けることを目的としたものであるが、それに止まらず、各業種の店舗数の規制をも包含するものである。なぜならば、いかに具体的かつ詳細に品目規制を定めたとしても、その業種の店舗数をいかようにでも増加させることができるとするならば、品目規制は全く無意味なものとなつてしまうからである。

(4) 以上のように、被告泉興業及び本件市場内の全商人は、会則及び一覧表の制定に際し、当時の各業種の店舗数を各人が遵守することを不可欠かつ当然の前提として、専売品目以外の商品を販売して他業種の権利を侵害しないことを合意したものであり、現に、本件市場開設時から後記のように被告らが「共販店」を開設するまでは、本件市場内における「果実」業は一貫して亡貢及び原告中村の二店舗のみであつた。

5  ところが、本件市場内の別紙物件目録記載の店舗(以下「本件店舗」という)が、昭和五四年一一月ころ空店舗となつたため、被告泉興業ら五名は、共謀のうえ、同年一二月六日、突然、本件店舗において、「共販店」(又は共販商事)の屋号で、みかん・りんご等の果物の販売を開始した。

その販売態様は、回転率の良い商品(みかん等)を重点的に扱い、利益を度外視した低廉な価格で販売し、とりわけ原告らの大売出しの商品と同種の商品を意図的に「大売出し価格」より下げて販売するというものであつて、原告ら二店舗に対して打撃を与えることのみを目的とする不法なものである。

6  被告らの右行為は、亡貢及び原告らに対する営業妨害行為にほかならず、前記の会則及び一覧表に基づく合意に、被告泉興業にあつては、さらに賃貸借契約に、それぞれ違反する債務不履行行為であると同時に、原告らの権利(営業権)を故意又は過失により侵害するものであつて、民法七〇九条、同七一九条に定める共同不法行為に該当する。

なお、被告土佐が現実に前記共販店の経営に参加していなかつたとしても、被告土佐の夫である訴外土佐満正が右共販店の経営に参加していたところ、本件市場内の店舗の賃借人名義も、その営業名義も、被告土佐であり、また、本件市場内の商人で組成されている商人会にも、被告土佐が加入しており、その後商人会を脱退して作られたいわゆる清心会にも、被告土佐が加入しているのであるから、本件市場内の店舗における経営者はあくまでも被告土佐であつて、その夫の訴外土佐満正は、被告土佐の従業員の立場にあつたものというべきである。したがつて、訴外土佐満正が本件市場で行つた右行為により、亡貢及び原告らが被つた損害について、被告土佐は民法七一五条により、その損害賠償責任を負うべきである。

7  ところで、右共販店は、昭和五七年一一月二日から同月二八日まで閉店し、翌二九日から営業を再開したものの同年一二月一一日から再度閉店したまま今日に至つているが、なおその営業が再開される可能性は高い。

8  被告らの営業妨害行為により、亡貢及び同人を承継後の原告木内並びに原告中村の被つた損害は、次のとおりである。

すなわち、

(一) 原告木内の先代亡貢は、別表(1)記載のとおり、昭和五三年一二月一日から昭和五四年一一月三〇日までの間に、合計金二〇九六万九五〇〇円の売上実績があつたが、被告らの営業妨害行為により、昭和五四年一二月六日から昭和五六年七月三一日(但し、亡貢が昭和五六年二月八日に死亡後は原告木内について)までの間には、各月売上対比により合計金四九二万九六〇〇円の売上減となつた。

(二) 原告中村についても、別表(2)記載のとおり、原告木内と同様の計算方式により、同一期間内に合計金七三八万円の売上減となつている。

(三) 原告らの売上に占める利益率は二五パーセントを下らないところから、右期間内に、少なくとも、

亡貢及び原告木内については

4,929,600円×0.25=1,232,400円

(一か月平均金六万一六二〇円)

原告中村については

7,380,000円×0.25=1,845,000円

(一か月平均金九万二二五〇円)の各損害が発生した。

(四) 昭和五六年八月一日以降も、右同様に、原告木内においては、毎月金六万一六二〇円、原告中村においては、毎月金九万二二五〇円の各割合による損害が発生した。

(五) 以上の結果、共販店が開店された昭和五四年一二月六日から昭和五七年一〇月末日までに亡貢及び原告木内の被つた損害は、金二一五万六二〇〇円であり、原告中村の被つた損害は金三二二万八七五〇円であるところ、原告木内は、亡貢がその死亡した昭和五六年二月八日までに被つた損害の賠償請求権を、相続により取得した。

9  よつて、原告ら各自は、被告ら全員に対し、商人会会則等による合意に違反する債務不履行に基づき、また被告泉興業に対しては、賃貸借契約上の義務に違反する債務不履行に基づいて、さらに以上と選択的に、被告ら全員に対し、民法七〇九条、同七一九条の共同不法行為責任に基づき(なお、被告土佐については予備的に民法七一五条に基づき)、被告らは本件店舗において果物を展示・販売してはならない旨の営業の妨害行為の差止を予め求めるとともに、原告木内は、被告ら各自に対し、同原告の被つた前記損害金二一五万六二〇〇円及びこれに対する損害発生の最終日の翌日である昭和五七年一一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告中村は、被告ら各自に対し、同原告の被つた前記損害金三二二万八七五〇円及びこれに対する損害発生の最終日の翌日である昭和五七年一一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告泉興業)

1 請求原因1(一)(二)の事実はいずれも認める。

2 同2の事実中、本件市場は被告泉興業が昭和四三年に開設した公認市場であること、昭和五五年七月当時、三四名が被告泉興業から店舗を賃借し、果物店、八百屋、肉屋、魚屋等の小売業を営んでいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3(一)(二)の事実はいずれも認める。

4(一) 同4の事実中、冒頭部分は否認する。

(二) 同4(一)の事実中、亡貢及び原告中村と被告泉興業が、本件市場内店舗の賃貸借契約を締結するに際し、亡貢及び原告中村の業種を「果実」と合意し、販売品目並びに業種業態は絶対に他店の権利を侵すことなく守られなければならないと定めたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同4(二)の事実中、(1)、(2)はいずれも認めるが、(3)は否認し、(4)のうち、共販店が開設されるまでは、本件市場内における果実業は亡貢と原告中村の二店舗のみであつたことは認め、その余については否認する。

5 同5の事実は否認する。

6 同6の主張は争う。

7 同7の事実は否認する。

8 同8の(一)ないし(五)の事実はいずれも否認する。

(被告泉興業の補助参加人の認否)

1 請求原因4の(一)の事実のうち、被告泉興業が亡貢及び原告中村と賃貸借契約を締結するに際し、その業種を「果実」と合意したことは認めるが、その余は否認する。

2 同4の(二)(2)(3)の事実のうち、被告泉興業及び他の被告らを含む本件市場内商人全員が、商人会会則に基づき、品目規制一覧表を全員一致で決定し、専売品目を定め、互いに他業種の権利を侵害しないことを合意したことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同4の(二)(4)の事実のうち、本件市場内の果実店舗は、共販店が開設されるまでは亡貢及び原告中村の二店舗のみであつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同6の事実は否認する。

5 同7の事実のうち、その営業が再開される可能性は高いとある点は否認するが、その余の事実は認める。

6 同8の事実は否認する。

(被告泉興業を除くその余の被告ら四名)

1 請求原因1の(一)(二)の事実はいずれも認める。

2 同2の事実中、本件市場が原告ら主張の頃開設された公認市場であること、店舗賃借人が市場内で小売業を営んでいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3(一)(二)の事実はいずれも認める。

4 同4の事実は争う。

5 同5の事実のうち、本件店舗が昭和五四年一一月ころ空店舗となつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6 同6ないし8の事実は否認する。

三  被告泉興業を除くその余の被告ら四名の主張

1  原告らと被告泉興業との賃貸借契約締結の際や、商人会総会における会則及び一覧表の作成の際になされた業種の制限・特定業種に含まれる専売権についての合意には、当然に、店舗数制限までもが含まれるものではない。

もし、原告らの主張どおりであるとすると、市場内の業種の変更(これには新規開設・店舗数の変更を含む)は、市場内のすべての商人の個別の同意のない限り変更できないこととなり、甚だ不都合な結果となる。

そもそも、小売市場を開設しようという者にとつて、如何なる業種を募集するか、如何なる業種の店舗数を複数店舗とするかは、専ら開設者の自由であり、いわば、それは市場開設者(市場経営者)の市場政策の問題である。勿論そこでは、地域の消費者の階層や動向を配慮し、かつ、市場の規模や周辺状況を考えて、需要の大きい業種は複数店舗を入店させようと予定はされるが、その通り小売商人が入店してくれるとは限らないのである。したがつて、ある業種の店舗数が、市場開設時に説明されたとしても、それはあくまで予定数として理解されるべき性質のものであつて、契約内容となるものではない。

2  共販店の開設・経営者は、被告らではなく、訴外尾崎幸雄(以下「尾崎」という)である。

すなわち、共販店が果実店舗として開店したのは、もとはといえば、原告中村が、昭和五四年当時、種々の事情により、同年秋には退店することを予定していたところから、被告泉興業は果実店の入店者を募集したところ、これに応じて訴外尾崎が本件店舗を賃借して果実店を始めたのである。ところが、店を切り盛りする筈の尾崎の妻が、折悪く子宮外妊娠のため入院する事態となつたため、やむをえず、開店当初から、尾崎と親しい被告綛谷が、その営業を何かと手伝うようになつたものにすぎず、被告松本、同土佐においては、同店の営業に何らかの関与をしたことも一切ないのである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(一)(二)及び同3(一)(二)の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二次に、本件市場が被告泉興業が昭和四三年に開設した公認市場であることについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件市場は、その開設以来、概ね、三四ないし三五名の者が被告泉興業から店舗を賃借して、果物店、八百屋、肉屋、魚屋、その他の小売業を営んでいること、本件市場内に店舗を賃借している商人は、すべて公認西九条市場商人会に入会し、他の市場商人と協力して市場の発展に努めることとされており(<証拠>)、右商人会の会員となることが義務付けられていることが認められこれを覆すに足りる証拠はない。

三また、原告らと被告泉興業が、本件市場内店舗の賃貸借契約の締結に際し、原告らの業種を果実と合意し、販売品目並びに業種業態は絶対に他店の権利を侵すことなく守られなければならないと定めたこと、本件市場には「市場の秩序を維持し、会員相互の親睦を図り、一致協力して市場の繁栄を図る」ことを目的として商人会が結成されており、その出店商人間の根本規範というべき会則の第六条には「会員は別紙販売品目を厳守して他店の権利を侵さない事」と定められ、同第五条三項では「経営者と商人との間に定められたる別紙販売品目の限定に関する取締」が商人会の業務とされていること、右にいう販売品目を定めた別紙である品目規制一覧表は、被告泉興業の提案に基づき、商人会総会において満場一致により決定(昭和四五年七月二七日)されたものであり、そのため被告泉興業及び商人会の連名で作成されたこと、右一覧表には原告らの業種たる「果実」の専売品目は「果実、支那栗、ゆで栗、切干芋、まくわ、いちご、正月用串柿」と定められているのに対し、被告泉興業を除く被告ら四名の各業種には右のような専売品目が含まれていないこと、本件市場開設時から共販店が開設されるまでは、本件市場内における果実業は原告らの二店舗のみであつたこと、以上の事実については、原告らと被告泉興業との間において争いがない。

四そこで、次に、被告らに、原告らと同一業種の商品を販売しない旨の契約上の義務があつたか否かについて判断する。

前記三の原告と被告泉興業との間において、争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  一般に、本件市場のような小売市場に店を出そうとする商人にとつては、顧客吸引力の面から、当該小売市場における特定業種の各店舗数、特に、自己と同一業種の店舗数については非常に重大な関心事であつて、当該市場に出店をするか否かを決する際の重要な要素となる。

したがつて、市場経営者が、小売商人を募集する際には、多くの場合、当該市場内で営むことのできる業種及びその一定の業種を営むことのできる店舗数を予め定め、これを小売商人に示し、その納得を得て、右募集をするのが一般の例であつて、本件市場を開設する際にも、被告泉興業は、右と同一の方法をとつた。

そして、本件市場においては、当初に定められた市場内店舗の業種をその後に変更する場合には、本件市場内の商人で組織する公認西九条市場商人会と被告泉興業とが協議し、右商人会の了解を得て、右業種の変更をするのが慣例となつていた。

(二)  したがつて、例えば、訴外笹原登は、昭和四三年四月の本件市場開設以来、本件市場内の店舗を被告泉興業から賃借して洋品雑貨の小売をしているが、右店舗賃借の当初、被告泉興業に対し、入店契約者の業種とその店舗数、販売業者の選別方法等についてくわしく尋ねたところ、当時の被告泉興業の代表者青山留吉及び担当従業員の中村一郎から、訴外笹原登と同一業種である衣料品等については、三店舗、主力商品業種については、魚屋三店舗、八百屋三店舗、肉屋一店舗、果物屋二店舗、かしわ屋一店舗、豆腐屋一店舗等という説明を受けた。

(三)  また、原告木内の先代の亡貢も、訴外笹原と同様に、昭和四三年四月以来、本件市場内の店舗を被告泉興業から賃借して果物の小売販売をしているが、右賃借の当初、被告泉興業の代表者の青山留吉や担当者の中村一郎から、本件市場内の店舗区割に面積と業種を書き込んだ平面図を見せられ、果物店は二店舗であるとの説明を受けたので、亡貢は、本件市場内の果物店は当然に二店舗に限られるものと考え、面積もやや広く、また入口に近い三七号店舗の方が有利であると判断し、これを賃借して果物店を営んでおり、同人の死亡した昭和五六年二月八日以後は、その相続人の原告木内が引続き同店舗を賃借して果実店を営んでいる。なお、亡貢が被告泉興業から当初、本件市場内の果物店は三店舗であるとの説明を受けたならば、本件市場の規模に照らし、恐らく本件店舗を賃借しなかつた。

(四)  現在原告中村が被告泉興業から賃借している店舗は、市場開設当初は訴外藤岡果物店が賃借して果物店を経営していたが、昭和四四年五月ころ、空店舗となつたため、原告中村が、昭和四四年八月に右店舗を賃借し、それ以来果物店を経営しているところ、右賃借の当初、被告泉興業の当時の取締役木村栄治から、本件市場内の果物店は二店舗である旨の確認をして、右店舗を賃借した。

なお、原告中村も、右店舗を賃借するに際し、被告泉興業から本件市場内の果物店が三店舗である旨の説明を受けたならば、本件市場の規模に照らし、果物店の経営が困難と思われたので、恐らく、現在の本件店舗を賃借しなかつた。

(五)  なお、本件市場においては、市場内店舗の賃借人の変更とともに、業種にも変更がなかつたわけではないが、そのほとんどは、従来本件市場内になかつた新業種への変更の場合か、或いは、開店当初の特定業種の店舗が一時的に減少したため、これを開店当初の店舗数に戻した場合にすぎなかつた。

(六)  一方、被告泉興業が本件市場内の店舗を各商人に賃貸する場合には、具体的にその業種及び販売する商品の品目を限定して賃貸していた。

そして、原告木内の先代亡貢と被告泉興業との間において昭和五一年六月一日付で、また、原告中村と被告泉興業との間において昭和五四年六月一日付で、それぞれ作成された本件市場内の各賃借店舗の賃貸借契約書(甲第二、三号証)には、右亡貢及び原告中村がその各賃借店舗で行う業種は、「果実」とされ、亡貢及び原告中村は、被告泉興業の「文書による承諾を得ることなくして無断で業種業態を変更する事は出来ない。」とされ(第二条参照)、さらに、原告らは、「販売品目並に業種業態は絶体に他店の権利を侵す事なく守らなければならない。」とされている(第一五条参照)。

(七)  次に、昭和四三年に公認西九条市場商人会が結成されたときには、本件市場に入店する業種の店舗数と取扱品目が会員相互によつて確認されたし、また、その後昭和四五年七月二七日に設けられた右商人会会則には、「本会は公認西九条市場の秩序を維持し会員相互の親睦を図り一致協力して当市場の繁栄を図るを以つて目的とす。」と定められ(第四条)、「会員は別紙販売品目を厳守し決して他店の権利を侵さない事。」と定められ(第六条)、かつ、右商人会は、「品目規制一覧表」を作成して、業種によつて販売できる商品の品目 専売品目 を詳細に定め、さらに、前記商人会会則は、商人会の目的の一つとして、「経営者と商人との間に定められたる別紙販売品目の限定に関する取締」を掲げている(商人会会則第五条三号)。

以上の事実が認められる。

そして以上の認定事実、殊に本件市場のような小売市場における販売品目規制や店舗数制限は、ともに市場商人にとつて死活を制する重要問題であつて、小売市場の経営者が、商人を募集する場合には、当該市場内で営むことのできる業種及びその店舗を示し、その納得を得ていることが通例であつて、被告泉興業もこれと同様の方法をとつたこと、原告木内の先代亡貢や原告中村は、被告泉興業から本件市場内の店舗を賃借して果物店を始めるに当り、被告泉興業の担当者らから、本件市場内の果物店は二店舗であると説明されたこと、亡貢及び原告中村らと被告泉興業との間の賃貸借契約書には、原告らの業種を「果実」と限定され、右業種によつて定められた販売品目以外の商品を販売しないように制約を受けていること、原告ら商人をもつて組織された公認西九条市場商人会会則にも、各商人は、所定の販売品目を厳守するよう定められていること等の諸事実に、冒頭掲記の各証拠を総合して考えると、本件市場内の各店舗の賃借人相互の間において、その限定された商品以外のものを販売しない契約上の義務があつたか否かは暫く措くとして、少なくとも、原告木内の先代亡貢及び原告らは、被告泉興業に対し、その限定された品目以外の商品を販売しないという賃貸借契約上の義務を負担している反面、被告泉興業も、原告木内の先代亡貢、原告木内、原告中村らに対し、その承諾を得なければ、本件市場内において、右亡貢や原告らの販売する商品と同一の品目の商品を自ら販売し、又は、第三者に販売させない賃貸借契約上の義務を負担していたものと認めるのが相当であつて、以上の認定に反する<証拠>はたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

五次に、被告らが原告ら主張の共販店の経営をしたか否かについて判断する。

1  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  本件市場内においては、被告泉興業のもと取締役(その後、昭和五五年三月一二日に代表取締役に就任)(<証拠>)であつて実際の実権をもつていた訴外畠中太巳とこれを支援する被告綛谷、同松本、同薮中、同土佐らを含めた合計約一〇名位の商人とその余の亡貢及び原告ら多くの商人との間において、かねてから対立があつたところ、昭和五四年四月に、被告泉興業の支援で公認西九条市場商人会の役員に訴外池辺松雄、被告綛谷、同松本、同薮中、同土佐らがなつたことや(<証拠>)、その後被告綛谷、同松本らが、本件市場内で、訴外株式会社大秀の販売している販売品目と同一の蒲鉾、魚肉練製品を販売したこと、被告綛谷ら当時の公認西九条市場商人会の役員等により品目規制の改正がなされたこと(<証拠>)、本件市場内の店舗の賃料値上請求問題、等々の諸問題に関連し、右両者間の対立紛争が深まり、同年九月には、訴外池辺松雄、被告綛谷、同松本、同薮中、同土佐らが右商人会の役員を辞任すると共に、別行動をとる旨の声明をし(<証拠>)、同年一〇月から、商人会に対し、所定の会費を納入しないようになり(<証拠>)、また、被告泉興業は、昭和五四年一一月二八日、「それまで便宣上提供していた市場の諸施設は本日以降とり止める。」旨の通告をし(<証拠>)、本件市場の出入口のシャッターの鍵、商人会事務所の出入口の鍵、物品倉庫の鍵などを自ら保管するなどの措置に出たので(<証拠>)、右両者の対立は、益々深刻となつた。

(二)  このような状況の中で、昭和五四年一一月頃、本件市場内の本件店舗(三〇号店舗)が偶々空店舗となつたところから、被告泉興業の当時の取締役であつた訴外畠中太巳は、家賃値上問題やその他のことで、被告泉興業の意に副わない態度をとり続けていた原告木内の先代亡貢らに打撃を与える目的の下に、右本件店舗(共販店)で、亡貢や原告中村が本件市場内で販売している品目と同一の果物を販売させて、その営業を妨害しようと考え、自ら被告泉興業の担当者として、同被告が昭和五四年一二月一日付をもつて、訴外尾崎幸雄(右畠中の妻の姪の夫で、かつ、当時、別に、畠中が取締役をしており、その二男が代表取締役をしていた飲食店「吉」(株式会社吉)の従業員であつた)に対し、右本件店舗を、業種を「果実」と限定して賃貸することとし、かつ右尾崎名義で、果物の販売を始めることにした。

(三)  しかし、訴外尾崎は、当時、右の如く、畠中が取締役をしている飲食店「吉」に勤めており、かつ、果物の販売については全く経験がなかつたところから、同人において、実質的に右店舗において果物店を営むことはできなかつた。

そこで、被告綛谷や同薮中らが事実上中心となつて、共販店(又は共販商事)の名称を用い、右本件店舗で、果物を販売することとし、昭和五四年一二月六日から右本件店舗、すなわち共販店で果物の販売を始めた。

(四)  右共販店の経営に当つては、他に使用人を雇つてはいたが、それ以外に、現実に、被告綛谷が、朝共販店の店を開け、夜その店じまいをしていたし、また、接客、販売行為をするほか、商品の仕入や、値段付け、売上金の計算、管理などもしていた。そして、被告綛谷は、その報酬として、共販店から一か月約一万五〇〇〇円を、後記の如く共販店を閉めるまで受け取つていた。

(五)  また被告薮中も、被告綛谷とともに中央御売市場に行き、被告綛谷の仕入れた果物を自己のトラックに乗せて共販店まで運搬したし、被告土佐の夫の訴外土佐満正も、主に、夕方ころから共販店に来て、「バナナが安いで!」「みかんが安いで!」等と大きな売声を上げて客を呼び、果物の販売行為をしていた。

(六)  また、<証拠>に掲つている「安売処」「共販商事」という看板は、被告泉興業の当時の取締役であつた訴外木村栄治が書いたもので、昭和五五年四月頃、本件店舗に掲げられていた。

さらに、前記共販店が開かれたことにつき、昭和五五年四月頃、原告木内の先代亡貢及び原告中村らを支援する本件市場内の商人十数人が、被告泉興業に抗議に赴いたところ、その際応待に当つた被告泉興業の当時の代表取締役畠中太巳は、「本件市場はわしの市場だ、何をしようとわしの勝手だ。」「共販店で売つた品物が悪いという文句のある客には、うち(被告泉興業)に言つて来るようにせよ。いくらでも弁償してやる。」という趣旨のことを述べて、被告泉興業が実質的に共販店を経営していることを認める趣旨の発言をした。

(七)  次に、右共販店における果物の販売に当つては、被告綛谷、同薮中、訴外土佐満正らが、毎日亡貢及び原告らが本件市場内の店舗で販売している各果物の値段を確かめた上、採算を度外視して、それよりも安い値段で果物を販売し、概ね毎週土曜日に設けられている特価日には、亡貢及び原告らが目玉商品として特に安く販売する商品についても、これに対抗してさらにそれよりも安い値段で販売し、なおさらに、原告らが、共販店に対抗して値下げをすると、その日のうちにさらにそれを下回わる値段で販売することもあつた。そのため、亡貢及び原告らは、右共販店の営業により、多大の打撃を受け、後記のような減収となつて、損害を被つた。

(八)  なお、右共販店は、昭和五四年一二月六日から同五七年一二月一〇日まで(但し、その間の昭和五七年七月二七日から同月末日までと、同年一一月三日から同月二八日までは閉店)営業をしていたが、同年一二月一一日からは閉店したままで、現在に至つている。

以上の事実が認められ、<証拠>中、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  そうだとすれば、共販店は、被告泉興業、同綛谷、同薮中が経営し又は少なくともその経営に関与していたものというべきである。

そして、被告泉興業は、前述の通り、亡貢、その相続人の原告木内、及び、原告中村らに対し、本件市場内の店舗の賃貸借契約上の義務として、右亡貢及び原告らが本件市場で販売する商品と同一品目の商品を自ら販売し又は第三者に販売させない義務があつたものというべきであるから、前述の如く、共販店を訴外尾崎幸雄に賃貸し、同人名義で右共販店を経営させたことについては、右賃貸借契約上の債務不履行の責任を免がれないものというべきである。

また、被告綛谷、同薮中は、亡貢及び原告らに対し、本件市場内で亡貢及び原告らの販売する商品と同一品目の商品を販売しないという契約上の義務があつたか否かは暫く措くとしても、前記四に認定の如く、商人会会則で本件市場内の商人は、所定の販売品目以外の商品を販売することによつて他人の権利を侵害しないようにすることと定められること、その他前記四に認定の事実関係のある本件においては、少なくとも、本件市場内で営業を営む商人として、亡貢及び原告らの販売する商品と同一の商品を販売することによつて、亡貢及び原告らに対し損害を与えないようにする一般的な注意義務があつたものというべきところ、前記の如く、共販店を経営し又はその経営に関与したことは、故意又は少なくとも過失により、右注意義務に違反して亡貢及び原告らに後記損害を被らせたものというべきであるから、不法行為による損害賠償責任を免がれないものというべきである。

なお、被告泉興業を除くその余の被告ら四名は、共販店の経営者は訴外尾崎幸雄であつて、右被告ら四名はその経営者ではない旨主張するが、仮に訴外尾崎幸雄が共販店の真の経営者の一人であるにしても、被告綛谷、同薮中が、前述のように、本件店舗における共販店の営業に関与している以上、右被告両名については、その不法行為責任は免がれ得ないものというべきである。よつて、右主張は失当である。

3  次に、原告らは、被告松本及び同土佐も、その余の被告らと共謀して右共販店の経営に関与していた旨の主張をしており、<証拠>中には、被告松本は、被告泉興業を除くその余の被告らの指導的立場にあり、また、被告松本、同綛谷、同薮中、訴外池辺松雄、被告土佐の夫の訴外土佐満正ら五名は、被告泉興業の事務所で、出資金として金三〇万円ないし五〇万円を出し合つて、共販店を営むことを話し合つたから、被告らは、いずれも右共販店の経営に関与しているとの事実を窺わせる趣旨の供述をしている。しかし、<証拠>中、右原告らの主張に副う供述は、いずれも推測の域を出ないものであるし、また、証人池辺松雄の証言によるも、被告松本、同綛谷、同薮中、訴外池辺松雄、同土佐満正らが、互いに出資金を出し合つて共販店を経営する話合が最終的に成立したことまでも認めることはできないところ、他方、<証拠>によれば、被告松本、同土佐は、共販店が開店されてから後、現実に右共販店の営業活動には全く関与していないことが認められるのであつて、この事実に、被告松本昭彦、同土佐初江本人尋問の結果に照らして考えると、被告松本、同土佐が共販店の経営に関与していたことを窺わせる<証拠>はたやすく信用できず、他に、右原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  次に、原告らは、被告土佐が現実に前記共販店の経営に参加していなかつたとしても、被告土佐の夫である訴外土佐満正が右共販店の経営に参加していたところ、本件市場内の店舗の賃借人名義もその営業名義も、被告土佐であり、また、本件市場内の商人で組織されている商人会にも被告土佐名義で加入していること等を理由に、被告土佐の夫の訴外土佐満正は被告土佐の従業員であるから、被告土佐は民法七一五条の損害賠償責任があると主張する。しかし、夫が妻名義で店舗を賃借し、妻名義でその営業を営むことも、一般的には往々にしてあり得ることであるから、原告ら主張の如く、本件市場内の店舗の賃借人名義その他の名義が被告土佐名義になつていたからといつて、直ちにその夫の訴外土佐満正が被告土佐の従業員(被用者)であつたとは認め難い。却つて、被告土佐初江本人尋問の結果によれば、本件市場内における店舗で、被告土佐方は、「天ぷら屋」を経営しているところ、その材料の仕入れや、卸売、集金等はすべて夫の訴外土佐満正が行つているし、また、所得税の申告も右満正名義で行つていること、被告土佐は、右店舗内で「天ぷら」を揚げ、卸売以外の右店舗における小売をしているに過ぎないことが認められるから、訴外土佐満正が被告土佐の従業員であつたとは到底認め難いし、さらに、仮に訴外土佐満正が被告土佐の従業員であつたとしても、訴外土佐満正が被告土佐の事業の執行につき、前記共販店の経営に関与していたことを認め得る証拠は何らないから、被告土佐が民法七一五条により原告ら主張の損害賠償責任を負ういわれはない。よつて、原告らの右主張は理由がない。

5  そうとすれば、被告松本、同土佐に対し損害賠債を求める原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて失当である。

六次に、原告らの被つた損害について判断する。

1  <証拠>によれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告木内の先代亡貢は、別表(1)記載のとおり、昭和五三年一二月一日から昭和五四年一一月三〇日までの間に、合計金二〇九六万九五〇〇円の売上があつたが、昭和五四年一二月六日から昭和五六年七月三一日までの間には(但し、昭和五六年二月八日までは亡貢、それ以後は亡貢の権利義務を承継した原告木内)各月売上対比により合計金四九二万九六〇〇円の売上減となつている。

(二)  原告木内において、昭和五六年八月一日以降も、昭和五四年一二月六日から昭和五六年七月三一日までの売上とほぼ同様の推移を示してきた。

(三)  原告木内の売上に占める利益率は、平均して二五パーセントを下らない。

(四)  共販店が営業活動を停止した昭和五七年一二月一一日以降、原告木内の売上は、徐々に昭和五四年一二月六日以前の水準に戻つてきた。

(五)  したがつて、昭和五四年一二月六日から昭和五七年一〇月三一日までの間に、亡貢及び原告木内は、金二一五万六二〇〇円の損害を被つた。

4,929,600(円)×0.25÷20(月)=61,620(円)

61,620(円)×35(月)=2,156,200(円)

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、亡貢が昭和五六年二月八日に死亡し、原告木内がその権利義務を承継したことは当事者に争いがないから、亡貢が右死亡するまでに破つた前記損害の賠償請求権は、すべて原告木内が相続により取得したものというべきである。

2  次に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  原告中村は、別表(2)記載のとおり、昭和五三年一二月一日から昭和五四年一一月三〇日までの間に、合計金二三二二万二〇〇〇円の売上があつたが、昭和五四年一二月六日から昭和五六年七月三一日までの間には、各月売上対比により合計金七三八万の売上減が生じた。

(二)  原告中村においては、昭和五六年八月一日以降も、昭和五四年一二月六日から昭和五六年七月三一日までの売上とほぼ同様の推移を示してきた。

(三)  原告中村の売上に占める利益率は平均して二五パーセントを下らない。

(四)  共販店が営業活動を停止した昭和五七年一二月一一日以降、原告中村の売上は、徐々に昭和五四年一二月六日以前の水準に戻つてきた。

(五)  したがつて、原告中村は、昭和五四年一二月六日から昭和五七年一〇月三一日までの間に、金三二二万八七五〇円の損害を被つた。

7,380,000(円)×0.25÷20(月)=92,250(円)

92,250(円)×35(月)=3,228,750(円)

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  そうとすれば、被告泉興業は債務不履行に基づく損害賠償として、被告綛谷、同薮中は、不法行為に基づく損害賠償として、それぞれ原告木内に対しては各金二一五万六二〇〇円、原告中村に対しては各金三二二万八七五〇円の支払義務があるというべきである。

七次に、原告らは、被告らに対し、本件店舗(共販店)において、果物を展示、販売をしてはならない旨の不作為(差止)を求めているが、前記の通り、共販店は昭和五七年一二月一一日から閉店したまま現在に至つているところ、<証拠>によれば、被告泉興業は、昭和五七年一月一六日の臨時株主総会において、当時被告泉興業の実権を握り、被告綛谷や同薮中らと緊密な関係にあつた代表取締役畠中太巳をはじめ、全取締役が解任され、経営陣が一新されたこと、新経営陣の下で、一連の紛争の発端となつた賃料増額問題も一応の解決がなされたことなどの結果、被告泉興業と商人会との関係が改善されてきていること、本件店舗の名目上の賃借人とされていた訴外尾崎幸雄と被告泉興業との賃貸借契約が終了していることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして、以上の事実を総合して考えると、今後、被告らによつて共販店の営業が再開される可能性はないと認めるのが相当である。

よつて、本訴請求のうち、被告らに対し、本件店舗において、果物を展示し、販売をしてはならない旨の不作為(差止)を求める原告らの請求は理由がない。

八以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、被告泉興業に対し債務不履行に基づき、被告綛谷、同薮中に対し不法行為に基づき、各自、原告木内において金二一五万六二〇〇円、原告中村において金三二二万八七五〇円及び右各金員に対する右原告らの本訴請求にかかる最終の損害を被つた日の翌日である昭和五七年一一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから右の限度でこれを認容し、右被告らに対するその余の請求及び被告松本、同土佐に対する請求は失当であるからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官後藤 勇 裁判官高橋 正 裁判官村岡 寛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例